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日本に一時避難しています〜帰国までの経緯と新型コロナウイルスの影響〜

ムラーホ!(こんにちは)
JICA青年海外協力隊、2018−3次隊ルワンダ派遣の津田ナツキ(@ntktd3713)です。

 

とんでもなく久しぶりの更新となります。

投稿が出来なかった約4ヶ月間、目まぐるしく環境が変わり、その環境と現状を受け入れられない自分がいました。自分の心を、経験を整理するために、この記事を書いていきたいと思います。少し長いですが、お付き合いください。

 

 

新型コロナウイルスの影響で、日本に一時避難しました。

 

2020年3月21日に、新型コロナウイルスの影響で一時帰国しました。

JICA青年海外協力隊としての任期を、約10ヶ月切ったところで、JICAより帰国を命じられました。これは、全世界に派遣されていた約1800名のJICA協力隊全員に向けられたものです。

6月の時点では、ほとんどの隊員が日本に一時避難しています。

 

何故、帰国となったのか?

 

それでは何故、帰国となったのでしょうか?

この理由は以下が挙げられます。

 

1.各国の国際線の閉鎖

2.発展途上国でのコロナウイルスの感染リスク

3.発展途上国における医療水準の低さ

 

これらの理由により、JICA本部からの指示で全世界に派遣されている隊員が一時避難をすることとなりました。

特に発展途上国では国際線の閉鎖までのスピード感がものすごくあるように感じました。

全隊員が一時帰国というのは、青年海外協力隊の長い歴史の中でも、初めてのことだそうです。

 

 

 

ルワンダから日本に帰国するまでの経緯

 

それでは、帰国までの経緯を辿っていきたいと思います。

 

2月前半 〜コロナなんて、アジアだけのもの。他人事だった時期

 

こんなことになるとは考えもせず、私は現地での活動に勤しんでいました。

2月に1年が経過した際に行う中間報告会で報告をし、約1年間基盤を整えて、念入りに計画していた街づくりプロジェクト、校内でのデフカフェレストランの立ち上げ、新規就労先の確保等、今からやるぞ、とやる気に満ち溢れていた3月。

新型コロナウイルスのニュースは、勿論ネットニュースで知っていました。

しかし、「どうせアジアだけのことだろう」と、他人事のように捉えていました。

 

 

2月始めの投稿↓

「コロナ」という単語は、日常生活の中でも一切出てこなかった2月。

 

正直、私の住むルワンダの農村部まで、このままずっと「コロナ」というワードが出てくることはないと考えていました。

 

 

 

3月初旬 〜少しずつ忍び寄る新型コロナウイルスの影響

 

しかし、3月に入った頃から、アフリカ大陸でもコロナ感染が発覚したことで、徐々に私の住むアフリカでもコロナウイルスの影響が出てきました。

 

ルワンダ政府より、

✔︎手洗いの義務

✔︎挨拶時に、ハグや握手をしない

等のお達しが全国民にあり、簡易手洗い用のタンクの設置が各地でされたり、お互いの足の裏側をくっつける挨拶など、私たちの生活にも大きな変化が見られるようになりました。

 

ここあたりから、少しずつ「コロナウイルスの存在」を近くに感じるようになりました。

 

※ちなみに「コロナウイルス」の発音はCorona virus(コロナヴァイルス)です。

 

3月9日↓ 〜新型コロナウイルスの感染者が、アフリカで発覚した頃

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3月中旬 〜急速に変わる私たちの生活

 

3月中旬、ルワンダで初めての新型コロナウイルス感染者が出ました。

そこから、坂から転げ落ちるようなスピードで私たちの生活がガラリと変わっていきます。

 

ルワンダの全学校は、突然休校となりました。

感染拡大が広がる国や、国際線が閉鎖される国の隊員が、急遽帰国となります。

JICA青年海外協力隊と同じ政府系ボランティアである韓国のKOICAや、アメリカのPeace corpsも、日本より先に一時避難が決まり、帰国し始めていました。

 

この時、「もしかして・・・」という不安を初めて感じたのを覚えています。

 

 

3月16日↓

 

 

その中でも、現地で生活する私の環境で一番変わったことは、現地の人の目でした。

アジア人に対するヘイトスピーチや、差別、偏見が出てきていました。

 

街を歩くと、「コロナヴァイルス!」と叫ばれたり、いつも乗っているバスの乗車拒否をされたりと、一部のルワンダ人のアジア人に対する言動や態度が変わってしまったようでした。

 

 

 

3月17日↓

 

この同日、3月17日に、JICAルワンダから5日後〜6日後に一時避難の通告が来ました。

焦りと不安が、確かなものとなり、何をしたらいいか、全く分かりませんでした。

 

 

私は最後の挨拶をしに、学校に向かいました。

残っていたのは、一番信頼のできるカウンターパートの耳の聞こえない同僚と、生徒一人のみでした。

生徒たちは、急な休校で自宅に戻っており、お別れを言うことができませんでした。

 

 

 

その日の夜9時頃に、ルワンダ政府が3月21日国際線を停止することを決定。

その30分後、JICAルワンダより連絡があり、10時間後に任地に迎えにいくとの連絡がありました。

 

突然の連絡で、心の準備も整理も間もないまま、キャリーケースに荷物を詰め込む作業が始まりました。仮眠も取りつつ、今までで思い出の品や、荷物を急いで詰め込みます。

 

 

3月19日 朝8時半 〜任地を離れる

 

朝8時半には、JICAルワンダの車が自宅まで迎えに来てくれました。

家族のように仲の良かった村人にも、友人にも一人も挨拶をすることができませんでした。

 

車の外から、子どもたちが

「ナツキ、どこ行くの?」と叫びますが、

 

「少しキガリ(首都)に行ってくるよ」と涙をこらえながら、答えることしかできませんでした。

 

新型コロナウイルスで帰国する、等の発言は、今後の差別被害や、自宅の強盗等の事件にも繋がるため、控えるように言われていたこともあります。

 

車の中で、ずっと通っていたルワンダの景色を見ながら、涙が流れました。

 

首都に着くと、銀行に預けていているお金を下ろしたり、自宅の家賃や警備費の清算、IDカードの回収や事務所に預ける荷物の整理等、やることがどっとあり、心を落ち着かせる暇もありませんでした。

 

 

3月20日 〜ルワンダ出国

 

国際線最後の便で、私たちは出国しました。

飛行機の窓から見えるルワンダの緑豊かな景色、綺麗な空、夕日に涙がこぼれ落ちたのを覚えています。またきっとこの地に戻ると心に決めていました。

 

 

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I’m going to leave Rwanda and return to Japan. JICA alerted me and my fellow volunteers that we are being evacuated. I am very disappointed to be leaving my community. I could not say goodbye to my students. ルワンダを離れることになりました。全世界で活動する全てのJICAボランティアが日本へ一時帰国、避難となります。急なことで理解ができず、しばらく涙が止まりませんでした。 最後に生徒とお別れが言えなかったことが悔しくて堪らない。 またこの地に戻れることを信じて。 #rwanda #japan #volunteer #jocv #africa #青年海外協力隊

津田ナツキ🇷🇼🇯🇵Natsuki Tsuda(@natsukitomousu)がシェアした投稿 –

これまでが帰国までの経緯です。

 

帰国後と現在について

 

さて、驚くほどのスピードで帰国した私ですが、これからは日本に帰国後してからについて書いていきたいと思います。

 

3月21日 〜日本に帰国〜

 

1年3か月ぶりに帰国してすぐ大型バスでJICAの施設に移動。

久しぶりの日本を一切味わうことなく、そこから2週間の隔離生活が始まりました。

施設の外には一歩も出てはならず、一緒に帰ってきたルワンダの協力隊とも近づいて食事や話すことができず、部屋でテレビを見てご飯を食べる生活を繰り返す毎日。

正直帰国した実感はありませんでした。

 

4月前半

 

2週間の施設での隔離生活を終え、地元の宮崎に帰ることとなりました。施設を出てからまっすぐ自宅に帰り、空港で久しぶりに親に再会しました。自宅に戻り久しぶりの温かい日本食や家族との食事を楽しみました。

羽田空港を経由したため、宮崎の自宅でも2週間隔離生活を送りました。

 

久しぶりに帰国したのにも関わらず、友人にも帰国しましたとなかなか言えませんでした。5月頃から宮崎でもコロナが落ち着き、様子を見て友人と会ったり、懐かしい場所に行ってみたりと・・・ここあたりで、やっと日本に帰ってきたという実感がありました。

 

 

 

帰国してからの心情

 

毎日温かいシャワーを浴びることはできるし、美味しい日本食も食べられる。コンビニやスーパーにはなんでも揃っており、不自由なことは何もない日本での生活ですが、ここ3か月間は、正直落ち込んで何も手がつけられませんでした

 

任期を約10か月残しての緊急帰国。

これから始動するはずだった障害に優しい街づくりプロジェクトも、校内カフェレストランスタートも、毎日の授業も、大好きなルワンダでの生活も、突然消え去ってしまいました。

しっかりお別れもいうこともできないまま、消化できないモヤモヤをこれからどうすればいいか分からないままなんとなく過ごした日々でもありました。

 

 

こんなことを達成してきました!

なんて胸を張って大きな声では言えない自分ですが・・・

帰国しました。

という報告でした。心の整理がつかず、長いこと更新できず申し訳ありませんでした。

 

 

これからどんな人生が待ち受けているのか、どんなストーリーになっていくのか、自分でもまだまだ分かりません。きっと世界中の人が新型コロナウイルスで当たり前の日常を失ってしまったかと思います。世界に早く平穏が訪れる事を願って。

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

ABOUT ME
津田ナツキ
世界の貧困をこの目で確かめる、ことを目的に青年海外協力隊としてルワンダで草の根活動中。ろう学校で教師として英語、情操教育を指導しながら、校内カフェレストランの立ち上げ、障がいに優しい街づくりを実践中。